2012年9月13日に放送されたアメトーーク!「どうした!?品川」。この回はアメトーーク!史上最高傑作とも名高い伝説の神回です。本記事では、このブログのテーマである「笑いの構造」の視点から、この神回を徹底的に解剖していきます。
【はじめに】お笑いの核心は「ネタ」ではなく「人間」に宿る
お笑い芸人にとって、緻密に構成されたネタや軽妙なトークはもちろん重要です。しかし、それ以上に観客の心を動かし、爆笑をさらうのは、その人の「人間(キャラクター)」そのものが剥き出しになった瞬間ではないでしょうか。
「お笑い芸人とは職業ではなく、人生であり、生き方である」
そう強く感じさせる神回が、アメトーーク!史上最高傑作とも名高い「どうした!?品川」です。
1. 押井守監督の金言を体現する「語られる人間」としての芸人
このブログの別記事で紹介した、映画監督・押井守監督の言葉に「語るより語られる人間になれ」というものがあります。
この「どうした!?品川」という企画は、まさにこの金言を地で行くものでした。当時、映画監督としての成功や、洗練された振る舞いによって、芸人としての「泥臭さ」が消えかけていた品川祐さん。そんな彼を、稀代の扇動者・東野幸治が徹底的に”イジリ”、周囲の芸人たちに語らせることで、品川氏の「人間」を解体/再構築=微分/積分していきます。
これこそが、本企画が伝説となった最大の理由です。品川氏は何も自分で語りません。ただそこに居るだけで、周囲の芸人たちが品川という人間を語り続ける。押井監督の言う「語られる人間」の究極形が、このバラエティ番組の中に存在していたのです。
と、ここまでいうとなんか凄く大仰ですね笑
押井監督の言葉の真意は、自ら語るのではなく、誰かに語られるような人物になれ、というプラスな意味ですが、ここでの品川さんは”語られる”=”イジられる”かもしれません。
しかし、冒頭でも申し上げたとおり、芸人の進化が問われるのは最後は「人間」だと考えます。
品川さん本人は不本意かもしれませんが、”語られる”=”イジられる”人間が、稀代のエンターテイナー以外の何者でもありません。
2. 東野幸治という「冷徹な演出家」の慧眼
この回が実現した背景には、プレゼン企画史上過去最高の得票数を獲得した東野さんの凄まじい熱量がありました。最近の品川さんの元気のなさを憂いた東野さんが「もっと嫌われろ!」と品川さんを焚き付けたいという思いでプレゼンし、視聴者の心を動かしたのです。
本編で東野さんが抉り出したのは、品川さんの「いやしさ」です。
少しでも流行っているものにすぐに手を出しては食い散らかす節操のなさ、本を書くときに「品川ヒロシ」と表記を変えるの気取り、韓流スターを思わせるおしゃれな髪型への変化、東野さんはこれらを丹念に拾い上げ、品川さんが隠そうとしていた、いや、意識せずとももれでてしまう「浅ましさ」や「自意識」を、”イジり”という名の愛情を込めて笑いへと変換していきます。
これは、押井監督が説く「違和感を見逃さない力」そのものです。強引かもしれませんが笑
東野さんは品川さんの佇まいに潜む「芸人としての違和感」「芸人と文化人の狭間」を鋭く察知し、それを特大の笑いへと変換した。その意味で東野幸治という人物は、バラエティ番組における最高の「演出家」と言えます。
3. そうそうたるメンバーが品川さんを語る
この回には有吉弘行さん、陣内智則さん、千鳥の大吾さんノブさん、インパルス板倉さんなど、今テレビで活躍する芸人さんたちが大集結しました。
注目すべきはその語り口です。誰一人として品川さんを「悪い人」として語っていない。一方で「悪い人」ではないんだけど、やっぱり「嫌なやつ」。でもめちゃくちゃ面白い、という絶妙な笑えるラインを攻めていきます。
おしゃくそ事変が生まれた経緯、映画監督としての活躍、劇場でのかまし、プライベートでのエピソード。様々な角度から品川さんをイジり倒しながらも、そのすべてが「嫌われすぎずに笑えるライン」をなぞっている奇跡を目の当たりにしました。
今も活躍する大物芸人さんたちが「品川語り」を存分に行う。今では見ることができないであろうメンバーが楽しそうに語る様はこの回が神回と呼ばれる理由のひとつです。
4. 「大泥棒」の復活——あの”品川”が再誕した瞬間に生まれた爆笑
番組中盤、骨折して松葉杖姿で弱々しく登場した品川さんに対し、周囲の芸人たちは容赦のないエールを浴びせます。
ここで品川さんから飛び出した言葉が、この回の最大のハイライトの一つです。
TKO木本さんのエピソードトークを奪ったことについて、品川さんが放った一言。自身をエピソードトークを盗む「大泥棒」と自傷気味に口にしながら、大泥棒があんな「民家」(=TKO木本さん)を狙ってあげたんだから、逆に光栄に思うべきだ、と嘯きます。自身を大泥棒、そして大先輩の木本さんをあんな「民家」と例える品川さん。
この瞬間、観客は、そして東野さんは確信しました。「あのギラギラした品川が帰ってきた」と。自分の非を認めながらも、あえてクソ野郎を演じる。いや、流れに乗って演じているように見えて、半分本当なのではないか?と観るものに思わせることができる”おしゃべりクソ野郎”。この瞬間こそ計算されたネタを超える「人間・品川」の真骨頂でした。
品川さんの人間味が溢れ出し、そこに爆笑が生まれる。これは大喜利の分析でも繰り返し触れてきた「その人間だからこそ出る、その人間しか出しえない回答こそが笑いを生む」という法則に完全に一致しています。
5. 庄司智春という「相方」の覚悟と伝説の「いってらっしゃい」
番組のクライマックス、相方の庄司智春さんが登場します。彼はパンツ一丁という最も芸人らしい姿で、相方の再生を全身で訴えました。
「昔の、あの芸人としての笑顔を取り戻してほしい」
庄司さんが自らの髪にハサミを入れ、品川さんに坊主を迫るシーン。そこにはバラエティの枠を超えた「コンビの絆」がありました。観念して髪を切り、ひな壇へ投げつけた品川さんに向けられた「おかえり!!品川!!」という大合唱。あの、笑いになるためならなんでもする芸人・品川祐が帰って来たのです。
芸人魂を取り戻した品川さんと庄司さんは一旦髪を丸坊主にするため舞台を降りますが、なぜか自分も丸坊主にして再登場した庄司さん。二人とも坊主にしたら品川さんが坊主にしたことがかすみ、流れがブレてしまうと非難されても一切気にせず、「これから忙しくなるぞ~!!」とウキウキな庄司さん。そんな二人に向けられた「おかえり!!品川!!」「いってらっしゃい!!庄司!!」という言葉。
この一連の流れは、個人のスキルを超えた「コンビという一つの生き物」が、世間に再提示された瞬間でした。庄司さんの行動は決して計算ではないでしょう。計算であれば、相方の丸坊主を活かすために、髪を残したままにしたことでしょう。しかし、自分も丸坊主にしてしまうという衝動に従ったからこそ「おかえり!!品川!!」「いってらっしゃい!!庄司!!」という名言が生まれたのでした。
6. 【独自考察】なぜ千鳥・大悟のツッコミは秀逸だったのか
記事の締めくくりとして、私がこの回で感じた「技術的な凄み」に触れたいと思います。それは、当時まだブレイク前だった千鳥・大悟さんの存在感です。
品川さんが「大泥棒」という人のエピソードを意識せず奪ってしまう流れのなかです。各々が、品川さんの大泥棒のエピソードを披露するなか、大吾さんもエピソードを話し始めます。話し始めて小笑いが起きたところで、他の芸人さんが”例え”をして笑いを増幅させました。普通の芸人ならば、そこで発言をやめてしまうでしょう。しかし大吾さんはさらに大きな”例え”を被せて大爆笑をかっさらうのでした。
この一連の流れの中で、大吾さんの、自分のトークから話題が離れても慌てず、一瞬のベストタイミングを逃さずに被せてくる鋭さに、将来の大物芸人の片鱗を見ました。
今やテレビ界の天下を取った圧倒的な芸人・千鳥大吾。大吾さんがここまで売れた理由を、私はこのどうした品川の中に見つけました。
また東野さんが言った「もっと心の中の品川を出せ!!」という言葉も印象的でした。B・コースタケトさんとギンナナ金成さんが品川さんのエピソードトークを話そうとしてタイミングが被ってしまい譲り合ったときに放たれたこの一言。格好をつけず、心の中にある泥臭い欲望やギラギラした感情を隠すな、というメッセージ、魂の叫びとして秀逸なフレーズです。
おわりに:心の中の「品川」を肯定して生きる
「どうした!?品川」が今もなお語り継がれるのは、一人の芸人が「偽りの自分」を脱ぎ捨て、再び「人間」に戻るまでのドキュメンタリーだったからではないでしょうか。
東野さんの演出力、庄司さんの覚悟、いまでも活躍する芸人たちのエピソードトーク、そして何より品川さんの人間としての魅力。これらが一つの番組の中で奇跡的に交差した60分でした。
押井守監督の言葉を借りれば、品川さんはまさに「語られる人間」でした。自分では何も語らず、ただそこに居るだけで周囲の人間が語り続ける。それほどまでに「人間・品川祐」は面白く、魅力的だということではないでしょうか。
そして何よりも、品川さん自身は”語られる”=”イジられる”ことに不服な様子が最高に人間・品川祐らしい笑
私たちも、心の中にいる「品川的なもの」を隠さず、もっと自由に、泥臭く生きていきたいものです。そしてこのブログも、大喜利分析を通じて「笑いの構造」を語り続けることで、いつか誰かに「語られる存在」になれることを目指して、書き続けていきます。

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